真田幸村について
現在放映されている大河ドラマ『真田丸』ですが、これは真田信繁(のぶしげ)が大阪城にて三つの丸南側に気付いた出城のことをいいます。この作戦で徳川軍の先鋒部隊に打撃を与え、追い込んだことでその名を有名にしたとされているのです。ところで幸村と信繁、このふたつの名前をよく見かけますが、違いはなんなのでしょうか。
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真田信繁と幸村の違いは?

一説として江戸時代に書かれた創作物に幸村という創作上の人物が多用され、有名になったというのが有力です。江戸時代以前は貴族や武士の実名を呼ぶのは主君や親に限られており、幾ら創作物でもそれ以外の人物が名前を呼ぶのは失礼とされていました。そのため幸村という名が使用されたのではないかと考えられています。
また別の説では、信繁と言う名前は信玄の次弟の名前からもらったものであるので、裏切った以上その名前は返さねばありません。そのため真田家の通字で家柄に乗っ取った幸村という名前が使用されたのではないかと言う説があります。